しかももとの水にあらず。by 鴨長明
季節は巡り、毎年同じような風景、花や鳥、虫達、そしてわんこを撮るわけですが、同じようでいて、一つとして同じものはありません。
特に撮影者にとって、その時の気持ちや写っていない周りの風景、時には気温や匂いまで、合わせて焼き付けられるのが写真だと思います。
だから飽きもせず、時には奇異な目に晒されても撮影し続けるのかもしれません。
無論、心象を焼き付けるためだけであれば別に嵩張る機材である必要は無く、 i phoneでもpixelでも構わないわけですが・・。
一つ一つのレンズが紡ぎ出す美と個性、受け止めるフィルムの個性、またたとえイメージセンサーだとしてもそこに引き継がれたフィルムライクなものを垣間見たり、それが写真機という道具を使う醍醐味かな、なんて思っています。
そうだとしても、自分はParanoidだって気付いているんです。ええ。
でもネット世界を彷徨って、「うん。まだ軽症だわ」なんて安心して帰って来たりしている訳です。