Foto Anthem

Anthem for myself, my family, and every photo-lovers

YASHICA フォトコンテストの応募先を訪ねてみた:オイルショックが阻んだ夢の跡地

YASHICAのベストセラーシリーズ、Electro35 の最後のモデル Electro35 MCに同梱されていた、1970年代中頃のフォトコンテスト応募用紙に書かれていたコンテスト写真の送付先が気になっていました。原宿あたりの一等地です。当時の建物は存在するのか、YASHICAの名前は残っているのか、面影はあるのだろうか。この目で確かめたくなり、時間を作って訪問する事にしました。

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目次

原宿駅から旧ヤシカビルへのアプローチ

GoogleMapで該当アドレスを確認すると、原宿駅東口を出て、表参道から明治通りに抜け、徒歩約6分の距離です。応募宛先であった「ヤシカビル」は現在は「京セラビル」という名称になっているようです。

goo.gl

原宿は普段自分が訪れる都内のオフィス街と異なり、歩いている人も違いますね。何がファッションの最先端なのかを教えてくれます。その一方で深い緑地や神宮も近くにあり、自然や歴史も感じられます。

表参道から明治通りを歩いてハイファッションの若者や超RIZIN皇治 vs メイウェザーボディーガード」の街宣トラックを横目に歩いていると、突然右手前方に周りのファッションビルとは異質な「昭和な」6階建てのビルが見えてきました。

原宿京セラビル

「京セラビル」とありますので、かっての、ヤシカ東京本社ビルのようです。

今見るといかにも昭和な感じですが、白塗りでデザインも入った窓枠など、昭和40年台当時は洒落た白亜の新社屋だったと思います。

 

竣工と同時の経営破綻

「京セラ原宿ビル」で情報を検索してみると、やはり外観は竣工当時のままで、耐震の補強工事をして現在は貸しビルになっているようです。沿革を見て驚いたのはその竣工の時期です。1974年に「ヤシカビル」として落成、とあります。

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ヤシカの歴史をwikipediaに紐解いてもらうと、1975年に経営破綻し、京セラが経営立て直しに参加、とあります。原宿の白亜の新社屋が完成した翌年に経営破綻、しかも当時はヒット商品のElectro35を世界中に輸出していた時代で、一瞬信じられないのですが、これには深い理由が存在するという事が、調べていると分かってきました。

ja.wikipedia.org

世界を襲った「オイルショック」と日本のトイレットペーパー騒動

オイルショック」とは主に1973年~1974年に世界で起きた原油価格の急騰とそれによって引き起こされた世界経済の混乱を指します。日本ではトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起き、トイレットペーパー価格が急騰したようです。これは完全な集団パニックで、実際は通常通りの生産が続いていたようです。令和のコロナ騒ぎでも似たような買い占めパニックが起きていましたね。

www.am-one.co.jp

つまり原宿ヤシカビルの計画、工事期間は順調だったヤシカの経営は原宿ヤシカビルが落成と同時にオイルショックの嵐に巻き込まれ、翌年には経営破綻してしまった事になります。あらがえない世界情勢とはいえ、ヤシカの皆さんはさぞ悔しかったことでしょう。

1975年に経営破綻したのはヤシカだけでは無く、あのLeica同じ年に一度経営破綻しているようです。Leicaは経営陣を変えて蘇りましたが、ヤシカを吸収合併した京セラはその後カメラ事業から完全に撤退してしまいました。

ja.wikipedia.org

ヤシカブランドは現在海外の第三者に売却され、中華製品にYASHICAが刻印されて販売されている現状です。往年のカメラ愛好家としては「これはヤシカじゃ無い」と思う反面、これからもYASHICAブランドとロゴの新製品が出続ける事は、かっての日本パワーを知るレガシーとして受け入れるべきなのかなとも思います。

ヤシカビル外観ならびに現在の内部

立派なエントランスへのアプローチです。おそらくこのアプローチの左側のガラス張り部分はヤシカ製品のショールームだったのではないでしょうか。

エントランス側からアプローチを眺める。右側がショールームであったと思われるスペース。

地下は店舗街ですがコロナの影響もあってか、シャッターも目立ち、閑散としていました。

1FにCalvin Kleinが入っているのが場所柄を感じさせます。進化する原宿という場所で、いつまでこの姿をとどめてくれるのでしょうか。当時のままの姿を現在まで保全してくれていた京セラに感謝します。

ヤシカはもう会社としは存在していませんが、日本中、世界中にヤシカの情熱が残した多くのカメラ達が生き続けています。自分も動く限りElectro35 MCのシャッターを切りたいと思います。